きみとぼく:君と僕
きみとぼく…
この言葉を耳にすると、皆さんはどんな場面を思い浮かべますか?
「きみ」…相手を示す言葉
「ぼく」…自分を示す言葉
私的には、若い男女のイメージが湧いてくるように感じます。
男性側からの視点で、お互いを認識し合う時に使う言葉「君と僕」。
その間柄は親しく親密で対等な立場。
お互いにお互いの理解につとめ、良い関係性を保とうという意識が感じられる。
そんな意味合いが「きみとぼく」という言葉には秘められているように感じます。
では、本来「君」と「僕」とは何なのでしょう。
ウィキペディアによると
「君」は、東アジアの漢字文化圏、特に中国や朝鮮の王朝で見られた皇族・王族または功臣の称号
「僕」は、しもべ、やつがれ、男性の召使(めしつかい)
とのこと。
日本の国歌「君が代」の「君」は天皇陛下を意味しますよね。
簡単に言うと、君は王様、僕はしもべということでしょうか。
きみとぼく…相手を建て上げ、自分はへりくだる。
なんとも聖書的、かつ日本的な言葉であると感じます。
しかし、現代社会、いや、人間の歴史を顧みれば、悲しいかな、男尊女卑を無しに歴史は進まなかったといっても過言ではありません。
そうなると、果たしてこの「きみとぼく」という考え方は如何にして生まれ、どのような経路をたどり、今の在り方になったのでしょう…。
本来の意味はどこかに消え失せ、忘れ去られ、言葉だけが独り歩きしてしまったのではないでしょうか。
男性諸君、今こそ、本来の意味の「きみとぼく」を取り戻そうではりませんか。
聖書の一節から【マルコの福音書 10章45節】
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
解説:
この御言葉(みことば:聖書にかかれている言葉)にある「人の子」とはイエスキリストを意味します。
この言葉はイエスキリスト本人が言った言葉です。
イエスキリストは「あがめたてまつられる存在」であると同時に、私たちのために「仕(つか)えてくださる存在」であることをイエスキリスト本人が言っています。
贖いの代価(あがないのだいか)とは、「罪を償うために犠牲にするもの」という意味。
「いけにえ」とか「罰金(お金)」などがその代表的なものです。
自分のいのちを与えるとは、その贖いの代価としてイエスキリストが十字架にかかって本人には罪が無いのに死刑を受けることで人々の罪を償うことを意味します。
自分自身は特に悪いことをしていないはずなのに、人のために命を懸ける。
「僕」という言葉には、そんな意味が込められているのではないかなと、僕的に感じるわけであります。
執筆:スタッフ小野
おススメ関連商品
ハンドメイドカホン【Lサイズ】
商品紹介
ホープ工房
ホープ工房は、札幌西区の障がい者就労支援事業所ホープで制作している手工芸品の販売サイト。
主たる支援事業であるホープ再生自転車販売で培ったノウハウを活かし、
自転車パーツを活用したアクセサリーやアイデアグッズを販売。
また、完全無添加・無着色の犬用チーズおからクッキーやプロミュージシャン監修の
ハンドメイドカホンなども販売。
屋号 | 特定非営利活動法人 生活相談サポートセンター |
---|---|
住所 |
〒063-0004 北海道札幌市西区山の手4条1丁目1-28 |
営業時間 |
9:00~18:00 定休日:土・日・祝 |
代表者名 | 斎藤 博之 (サイトウ ヒロユキ) |
info@hopekobo.com |